だらだらと愚痴やら心境やらだらだら。とにかく楽しもうと思いました。はい。
2017-02-7から絵を描き始めて ~230日目
だらだらと何か書こうとしたけれど忘れてしまったマン
纏まってないし纏める気もない分をだらだらダラダラ口語体で書く
読みづらいので読まなくても良いし、これは所謂「ああ、あの人には才能があるよね」的な絵への認識と「絵は描くのは才能じゃなくて努力じゃ、膨大な量と時間を費やして描いてるんじゃ」てことを理解しつつも上手く肚に落とせなくて、結局練習をせずにありもしない「絵描きの魔法のコツ」について夢想しつつもそんなモノないのは理解してる、ああ、ただの嘆きです。でももう大丈夫やでという文。
山なし谷なしオチ無し。推敲もなし。
たぶん絵描き初心者が、たぶん良く陥るような考えなんだろなーというのをダラダラ。
一昨日に絵を描いている人の放送を見た。
最近は自分の画力の低さやら一向に成長しない苛立ちやら練習した所で全く上手くならないし身につかない諦観やら閉塞感やらでやる気が落ちていた。まあ、それって絵を描き始めてからずっと言ってるやん自分みたいなところは認識しつつ、自罰的になり負のループを完成させるうおォン俺は人間火力発電所だ負のエネルギーを産み出すうおォン。
ええと、それで、放送を見て質問をした。最初から比べると上手くなったとは思うけど最近どうしたらいいか分からん的なことを。当然、上達するには描くしかないと理解しつつも何か「魔法のようなコツ」を追い求めて、たぶん、追い求めて、質問をした。
その人は懇切丁寧に質問に答えてくれた。その人も成人してから絵を描きはじめた(もしくは成人してから本格的に絵を描き始めた)いわゆる後発組 *1 で、まあ、このブログにあるような絵の証跡を見せてくれて、最初の絵が上手くない状態から上達して行っている途上やらかなり上達している最近の絵まで見せてもらった。そこまで丁寧にやってくれたのは同じ境遇だからだろう。そういった純度の高い声援はとても有難かった。いや、別に純度の低い声援があるのかと言われれば・・・いや、あるだろうけど、共感性の高い声援と言い換えた方が良いのか。
それで話を聞いていくと・・・あっ、コツに関しては全部知ってる。というか同じ動画見てる。やっぱ皆同じを考えて同じように悩むんだなと、感覚的に知っていたことを実際の人物を通したことで体感できた。
得られた中で大切なことは、やはり楽しむことで、今できないことを挑戦してやる!とか、上手くなってやる!的な心の部分で、あーそやなー励みになるなーええなー、元気貰えたなーとか。思ったんですよ。
自分の思考とタイピング速度が合致しなくて熱が冷めちゃいましたよ。
みんな悩んでみんな望んでみんな努力してるんやろなーと。
それで意識か無意識かわからんが楽しんでるんやろなーと。
なんでこんな愚痴描いたのかといえば、残念ながら人間ってのは初心を忘れてしまう生き物なので記録して置いておこうと思ったのです。だって、最初と比較したら上達してるのにそれを認めずになぜか自己の評価を排斥してるやん、現状。
親の心子知らず、子の心親知らず。俺たちの若い頃は~と若者を相対的に貶めたり、相手の背景や歴史を知らず理解もせずに老害と評したり。
そういった事は連綿と続いてきたしたぶん続くんだろうな。百聞は一見にしかずと言うが、きっと体験しないと学ばないんだろう。残念だけど。
久しぶりに人体クロッキーの本を読み直した。当時はわからなかったけど良いことが書いてある。うーむ。皆描いてあるし、皆伝えてくれてるんだけどね、大切なものは目に見えないんですな。サン=テグジュペリの他の作品知らんな、読もう。
分かっちゃいるけどやめられない、ってね。いや、分かっちゃいるけどやらないのかこの場合は。でもコツや描き方の検索をやめられないと言えばそうか。
吐露して、もやもやを解消させて、描きたい欲が高まっているので、まー楽しんで描こう。
やらないと上手くならないんですな、何事も。知ってた。
*1:ここで後発組とか評してしまうところが「絵の才能」「努力せずに数段画力が向上する得体の知れないコツ」への渇望やらコンプの煮凝りのようで最高にルサンチマンだよね、的なsomething