石膏ブロックを描く 絵画教室にて
2017-02-7から絵を描き始めて ~426日目
昨日は絵画教室に行きました。先日のリンゴデッサンはあくまで体験として描いたものなので今回が初めての練習でした。月4回のコースにしていて基本的には毎週1回、土曜日の午前に受講予定ですが今回は午前・午後の2回分です。(10:00~12:30、13:30~16:00)
1枚目のトーンで1時間程度、二枚目の立方体の石膏ブロックで残り時間全てを使った。
難しいねえ。まあ、また先生からは上手い方やらデッサン初めて?とかは言って貰えた。私はこういった褒められる行為には慣れていなくて、というのも昔から器用貧乏というか小奇麗というか手の掛からない「ほう」の子だったのであまり熱心に指導をして貰った経験が少なかった。あと恐らく、自分の座右の銘というか制約というか習性というか幼少の頃からの環境というか・・・抑圧や節制、バランス、平等、中庸といったもの重視している面があるので何か考えまとまらん。
褒めらたことは素直にありがたく受け入れよう。自分は調子に乗ると何かしでかすジンクスがあるので自制しようとする癖がついている。
5種類のトーンの下に薄く3つの囲いがあるのだけど、これは自宅で埋めてきてねと言われた。昨日のうちに埋めるつもりだったが寝てしまった。
石膏ブロックをあんな長時間かけて描くのは一人では無理なので良い体験をした。自分には何か一つのものに取り組む胆力がない。
スケッチブックの目の粗さが気になる。コピー用紙やクロッキー帳ばかり使っていたので直線を引いてもデコボコしていたり、均一に塗りつぶす動作をしているのに塗れない箇所があるのが、上手く心境を表現できないけど「想定と現実のギャップ」を感じて少々苛立つ。鉛筆を寝かして描くことが多いから紙の目までカーボンが入り込まないんだろうな。
正直なところ午後は集中力が切れて早く終わらないかな、とか、どう見てもコレ食パンじゃねーかとか雑念がふつふつと湧いていた。やっぱ完成形を知らずにただ手を動かして偶然産まれる良い形態を採用しようとしている節がある。それではいけないのだ。
後はつらつらと。
先日メインドフルネスしてるよと書きましたが気付いたら3週間継続してました。いまは15~20分が良いかな。10分だと短いし、はじめから30分とか設定するとまだアラームならないかな?とか考えちゃう。
昨日ふと思ったのが、雑念が浮かんだことに気付いて意識を取り戻すことができるなら、ダラダラと時間を浪費している際も同じことができるのでは?と。別にyoutubeとかゴシップ記事の全てが悪いという訳ではなくて、暇を持て余して口寂しさにアメを舐めるような感覚で情報に触れるのは質が低くて血肉にならないので、意識的に情報に触れるのと好みだろうと思われる映像等をgoogleから提供され惰性で情報を見させられているのは違うよね、と。受け身ではいけないなと。
消費なのか浪費なのか。それよりも優先すべき頃柄があるのではないか気付けるようになるかなーと思ったのです。
これは見直した際の未来の自分に。
絵画教室にまで行き始めた訳ですが、自分は何もデッサンをやりたくて通っている訳じゃない。自分が目指す形態や色彩を表現するためには、基礎となる形態のとり方、適切な明暗の表現、一つの絵に長時間向き合う姿勢や妥協点等々を知るため、身につけるために通ったことは忘れてはいけない。
言葉に振り回されてはいけない。デッサンをすることで絵が上達することを期待しているのではなく、自分が目指す絵に対して必要だと思ったからデッサンを採用した事実を忘れてはいけない。
他に連動しない単一の技能で終わらせてはいけない。鉛筆が木炭へ、筆へ、イラストソフトへ変わった際に全くのゼロから始まるような刹那的な技術を身に着けようとしてはいけない。
いけない、いけない、ばかりじゃダメでガンスよ。
イラスト初心者の成長過程と練習の記録 - Google スプレッドシート
下記サイトで同時に放送しています。サボリ防止用です。放送初めたばかりで試用段階なのでどれか止めると思います。いまは休止中です。5月、6月頃からやりたい。