大人になってゼロから初めるお絵かき

成人するまで絵を描く趣味も絵心も全くなかった初心者が絵をゼロから学びます。同じ境遇の方がいれば少しでも励みになれば・・・。プロフ→https://goo.gl/1Zxkvr 本気になって1枚目(通算121枚目の模写)→https://goo.gl/9ks7eD  基本的には自分がただ頑張るだけのブログです。

2017年絵を描きはじめてからの悩み 一年目の所感

自分は考えを文章にして吐き出すクセがありまして。昨年の2月から絵の練習を始めてから色々な事をメモ帳に残してきました。

元々公開する予定でしたが2017年も終わったので良い機会かと思い公開します。

 

公開した所で何も楽しいものではないです。

自分用の本当にただの吐き出しで、絵が描けないことへの嘆きがひたすら延々とダラダラと書いてあります。

なので読まなくていいです。21704文字あるらしいので本当に読まなくていいです。

 

また文意がめちゃくちゃだったり誤字脱字がかなりあります。

以下の内容はすべて自分への戒めとして書いたものです。不特定多数の誰かに向かって主張したい事ではないです。

なら何で公開するかと言うと、自分は良い所(上手く描けたもの)だけじゃなくて悪い所も見て欲しい・・・いや、見て欲しくはないんだけど悪いところも吐き出した方が誰かの慰めになるかもと思った・・・かどうかは分からないけども。

 

ええと

ネットでは情報がすぐに手に入って絵が上達するためのヒントが沢山書かれています。

ただ公開されている情報は基本的には上手い人が発信しているので、もう前提が上手い訳でして。

じゃあ下手な所から上手くなった人も探したらいたには居たけどこれまた匿名でして。その匿名の実在性というか信憑性の担保が可視化されてないのが不満でした。pixivでも下手→上手い人はいましたがどれだけ練習したのか、もしくは絵の専門学校に行ったのかも不明でした。

成長したと言われても期間は分かってもどの程度の練習をこなしたか分かりませんでした。また才能があるんだとも僻みました。「イラスト 初心者 上達」とかで何回も何十回も検索したのを覚えてます。

なんでしたっけ?なんかこう、そんな感じのことをさ、こうやれるんだよって。本当にいるんだよって。練習して上手くなるんだよって。僕は才能があるわけでも、スーパーマンでもないんだよって、そんな事を思って公開しようと当初は思っていた気がする。

 

 

書いてある事はただの嘆きなので参考にしないで下さい。

じゃあ、以下から私の嘆きです。

 

 

 

 

 

【考察】自分が思っていること  2017-04月頃
初心者が一番辛い。学習曲線の説明。20時間の法則(まあ、まあやがて上達すると成長効率が落ちてくるのでまた辛くなってくる)
エビングハウスの忘却曲線。パデュー大学のカーピック博士

物事の本質を捉えよう。考えよう。盲目的に受け入れない。でも、自分で全て独学オンリーの必要性はなく、模倣は重要でも型からそれがはじまる。(個人的に実在するモチーフを描こうとするには模倣をせずに完成度を高めるのはほぼ不可能に近いのかなと。模倣を一切せずに)

一番大事なのは苦行にしないこと。なおさら良いのは楽しむこと。
絵の習慣がある人と、全くないけど漠然と絵が上手くなりたいという人の学習方法は違うし、最初の志に著しい剥離がある。

絵の上達方法に画一的にベストだという方法はない。
自分のレベルによって吸収速度は違うし。無学習の人に「はい、これ模写して。上手くなりたいんでしょ?」と渡してもそれは酷く非効率です。また、どうやったら上手くなりますか?という質問には、枚数を描いたら上手くなるとしか言えない。具体的に質問をしたら答えも具体的になる。

疑問は具体的にする
描けない→手がかけない→手の立体感が掴めないくて描けないない→手の指の関節があるのはわかるが、それがどうやって、どの方向に動くのかが分からない。→手の各々の指が重なり合う部分のバランスが取れなくて、どのようにバランスをとって、どの指から順番に描けばよいのかが分からない


目標は具体的にする
大目標と小目標
・絵が上手くなりたい、はお金持ちになりたい。ぐらい漠然としているただの願望。
・せめてエロい絵が描けるようになりたい これは大きな目標。

そのために、
・おっぱい描けるようになる
・お尻描けるようになる  これらは小さな目標
グラビアアイドルの写真をひたすら模写する。これは具体的な練習方法

じゃあ、それで上手くなるのか?それは違うと思う。
でも「上手くなるために模写をする」ではダメで、それは漢字練習帳の漢字を「ただなぞった」という行為に近い。エミネムさんもそう言ってた。
おっぱい描くのが上手くなりたい→おっぱいが胴体部分に垂れる柔らかさを表現したいので、おっぱいが乗ってる胴体の形を学ぶ。胴体の形は肋骨の影響を強く受けているから骨の形を学んで、そこに肉がどうやって附帯しているかを知ろう!知ったから実際に描けるように練習して描いてみよう!とか
でもこれって知らないと思いつかないんですよ。

結局PDCAサイクルをグルグル回して改善するしかないんじゃないかと。
でもPDCAサイクルって上手く行かないって聞いたことないですか?それってplanの部分で間違っていることが多いですよ。売上目標達成するのに24時間働き続けますとか、負荷が高すぎるしそんな会社辞めますよね。
結局、程よい負荷を実践して課題を一つずつクリアして行くしか無いんじゃないかと。

有名なhitokakuがあるけども、人を描いて楽しいのは「絵を描くのが楽しい人」「人を描くのが楽しい人」だけ。
絵が描けない人に、模写をして、簡単でしょ?上手くかけたね!楽しいね!と言っても、自分はそれを許容できないんですよ。だって似てないから。似てないから楽しくないんですよ。
だからそういった人達は、「こんなに似てる!」「ゴミみたいな自分の絵が、模写しても全然似なかった自分の絵が!同じ特徴を捉えてる!模写をしているってわかる!」そういった、ひらめきに似た自己肯定感を得ないとまず最初から躓く。
でも、「描けない人」が「描こう」とすること自体がスゲー負荷なわけですよ。
何でってぼくらは「見る目」を持っているんですもの。
漫画やアニメを見て「良い例」を知っているし、サブカルチャーを嗜まない人でも人と触れ合って「この人は可愛いな、格好いいな」と思うし「審美眼」を既に持ち合わせている。
ただ、「見る目」はあるけど「観察眼」はないんですよね。
観察眼がないから、「何か変だ。だけど変なところが分からない。分からないから直せない。上手くならない、つまらない、辛い、やめよう」となる。

じゃあ、観察眼がないってなんだよと。
巷に溢れている多くの講座や書籍には沢山の「描き方」が乗っています。
例えば、眉目や目鼻が顔のどのぐらいの位置にあって、こういった形をしていて、こう描きます。とか。
「こう」が分からないんですよ。「こう」「これぐらい」「この形」とか言われても、じゃあその形はどう取るの?二分の1の位置にならないんだけど、どうやるの?とか。

半分の位置だと思ったのにズレてた。それに後の方になって気付いた。

練習しても「その日は上手くならない」
百日努力と言いますね。所謂ブレイクスルーです。
描けないから集中的に練習しよう!でも一日練習したけど描けない!てことはザラで、
上手い表現が浮かばないんだけど、リンゴ落ちるの見てニュートンの法則発見しました、みたいな。

 

立体が取れないから模写してみたり、模写ができないからブロック体で考えてみたり、ブロック体もできないからグラビア画像を読み込んで立体を描き込んでみたり。とどのつまり自分で試行錯誤するしかない。トライアンドエラー。


質より量?量より質?
一概に言えない。
そもそもコレって本気絵が24時間かかる人が1時間クオリティを積み重ねていくのか、5分クオリティを量産するのか、本気絵が30分の人が10時間かけて一つの絵を仕上げるのか、定義付けもされてないしやっぱり人によって違うし。

でも巧遅は拙速に如かずって言葉がありますよね。

一番良いのは早くて上手い。上手い人はそのクオリティを保って速度を上げて、早い人はその速度をなるべく保ってクオリティを挙げると、まあ、それしかないよね。
結局は自分に何が足りなくてと気付いて、それを補う練習をし続けるしかない。
一番最悪なのは方法論とかに拘って「何もしない」のが最悪最低だと思う。一時的にならいいんですけどね、調べるだけで何もしない、本買うだけで何もしない、講座見るだけで何もしない、過去の自分です。


絵を描いた習慣がない人は、たぶん本当に何も分からなくて「模写をしろ」もどの線から描いていくのか分からない状態だと思う。

「初心者こそこうやるべきだ」「絶対にデッサンから入るべきだ」「萌絵を描きたいなら漫画やアニメ模写をするべきだ」「最初は講座を基本的な比率を覚えてから模写に取り組むべきだ」とか色んな意見があって自分の中の基準が確立されてないのにどれを選べばいいかわからない、あっちこっち手を付けてみてどれも上手く行かない。もしくはデッサン(アニメ模写)やってみたけど全然似なくて楽しくない、辛い、やめようとなるかもしれない。
各々の練習方法はどれも正解だし、言葉をそのまま捉えるんじゃなくて言葉の意図を掴む必要がある。この意図があってこの練習のためにこれをやる。練習目的を意識できないと「勉強なんて社会に出て役に立たないんでしょ?じゃあ勉強しないよ」みたいな物事の重要性も気付けずに辞めてしまう。自分の土台をしっかりと保つことは大事。

自分が描いた絵は全て捨てずにとっておこう。凄く駄作だと思っても取っておこう。
それでもし自分の絵が凄い下手くそだ、もうやりたいくないと思ったら過去の自分の絵を見返そう。きっと成長していると思えるはず。

何のための模写か
模写の練習をして、ここが数ミリ違うとか、あまりに高精度なものは「無理して」求めなくてよいと思う。
というのも何のために模写をしているのかが分からないと何のために練習しているか分からないし、何のため絵を描いているのか根本的なものがグラついてしまうから。コピー機になりたいわけでない。ハイパーリアリズムを目指しているなら別でしょうが。
目的は可愛い女の子を描きたい、渋いオジさんを描きたい、ロボットを描きたい、美しい風景画を描きたい。色々ありますが、「頭の中にあるものを出力したい」に分類される。
模写はするけど、チラと見て少し想像で描いてみて、見本を見て修正する。そうやって学習するのが大切なのかなと思ってる。見えるものをただ書き写すのも大事だけど考える力、自分の頭の中に3Dモデルを作るのが大事。

 


2017-04-08
目のレパートリーが少ない。手、足が描けない。髪に立体感がない。
彩色が分からない、影のつく箇所が分からない。
一枚絵を完成させようとすると俯瞰やアオリの要素が排除された単調なアングルになりがち、全身を描こうとしているのは評価するが奥行きの表現を身につける必要がある。

 

2017-04-11
横顔がかけない。横顔の目がかけない。例えば正面絵や斜め絵なら丸に十字を切ったはっきりとした基準があるが、横顔の場合はまだ基準を確立できていないため悩んでいる、のだろう。人体をブロック体として考えた時の「正面」と「側面」の境界線が横顔の場合は見えてくるのだが、そこが描いていて理解できない。実際には境界線など無いんだから。
・・・でも骨があるから境界線はなくても曖昧な境界はあるんだろうな。それはまだ見えてこない。

 

2017-04-12
横顔が描けないため横顔の練習。知らないから描けないということがわかった。

 


2017-04-13
手の構造が分からないため講座を見て学ぶ。講座と称して「とにかく描くこと、模写することがコツです!」ってふざけんな!分からないから講座見てるんだよ!・・・と思っていたが、今はとにかく見て描くしか事は達成しないと理解できる。この考えに至ったのは結局try and errorを繰り返して、経験値を積んでから挑むことが重要なのだろう。

 


2017-04-15
少しずつ絵が描けるにつれて、アニメの1シーンを見て単純な線だから自分も描けそうだ、とか覚えるようになった。
でも実際に描こうとするそのギャップにやられる。そのギャップにやられると、
http://www1.linkclub.or.jp/~s-t23/column/column-4/index.html
こういう事になるんだと思う。その処方箋として過去の自分の絵を反芻することも重要だと思う。初心を忘れず成長を自覚すること。段々と部位ではなく、シルエットで捉えることができるようになってきた。精度は低いけども、部位を描いている最中に自分の中で基準をもって修正することができるようになってきた。
今までの感覚は、例えるなら、今描いている部位しか見えず、次の角や関節に行くまでの間に今描いた部位を忘れてしまっている。視野が狭くて何も見えなくなっているような感覚だった。だから、描いても描いてもズレていくばかりで正解が見えないとう感じ。

 


2017-04-16
塗りを会得すれば絵の完成度がもう一段回あがるとは思っているが、なかなか塗りまでやるのが難しい。
というのも、描けない人体部位をつい練習して時間が割かれるということもあるが、塗りに対する圧倒的知識不足が筆を止める原因となっている。ソフトの使い方、ツールの使い方、彩色の知識、どれも不足しているため学ぶものが「大きすぎる」、明日こそは。

 


2017-04-17
講座の「こう描きます」形式が認識しづらい。段階を踏んだり構成要素を認識しないと手が動かないことが往々にしてあった。自分が講座を作る際はその点を注意して分かりやすく教えたい。
塗りがわからない。ソフトのどの機能をどう使えばいいのか。あと絵が単調なのでアオリ、フカンを練習しないと魅力的な絵が描けないんじゃないかと想像。

 


2017-04-18
アオリと俯瞰が描けない。そもそも全くかわいくない。上達しない。

 


2017-04-19
やる気がない。

 


2017-04-22
睡眠時間が多い。最近はやる気がない。上手くかけない。基礎練に戻ろう。

 


2017-04-28
最近はyoutubeの講座を見ることが多い。実際の鉛筆の動きが分かってかなり有用。

 


2017-05-10
自分が下手であることを再認識して凹んでいた。
またデジタル描きが辛くてアナログへ逃げていた。でもアナログの方が描きやすくて丁度よい息抜きになった。

 


2017-05-14
アナログ描きで適当に模写をする日々。描けないと嘆いていたけども、徐々に描く力はついてきているようである。
模写はできるけども、その構図の正確なアタリ・ブロック体が描けるかは微妙なので、ただ写し取る力が向上している感じ。

 


2017-05-17
液タブを縦書きで使えないか検索していたところ、ディスプレイの設定画面で「テキスト、アプリ、その他の項目のサイズを変更する」のデフォの推奨が150%になっていた。こちらを100%に直したところ、画面がかなり見えるようになった。クリスタの描画スペースも格段に広がり、体感ではイラストの滲みもなくなった。

 


2017-05-20
今日からきちんと練習する。あとオナ禁する。
線画の仕上げは皆どうしてるのか。強弱になれるためにGペンで仕上げていたけど均一な線が弾けずに難しい。鉛筆で良い気がする。
顔と体で線の太さを変えるのだろうか。
塗りを久しぶりにやったら、やり方をほとんど忘れていた。何か調べたら要点をその都度纏めることにする。毎日イラストを描くことにする。じゃないと上達は愚かやり方すら覚えられない。
2018-01-05追記:Gペン、鉛筆云々はイラストソフトの話。

 


2017-05-21
6時に起きた。やる。塗りについて学ぶ。不明な点は、・色の選択方法・合成モード・髪の塗り方・肌の塗り方
済み:色相彩度明度、基本的な塗り方

 


2017-05-23
所詮おれはシコり猿。

 


2017-05-24
きょ、今日から毎日塗りやるゾー。

 


2017-05-25
MMDの模写と塗りをやろう。

 

 

2017-05-30
描いてるんだか、描いてないんだか。今日はダレている。最近か。いつもダレてるなコイツ。
色々な絵が見れるためと思ってtwitterを見る専だけどやりはじめた。ただ、これは物凄い時間浪費マシーンなのでなるべく見ない方がいい気がする。もしくは後で纏めてみるか。好きな絵柄の人をフォローし続けたが、他人のツイートが多すぎてもうわけわからない。
こんなものは放置して、さあ、絵を描くぞ。

 


2017-06-07
目に見えてるものもそのまま描けない。だったら曖昧な想像上の絵なんてなおさら描けない。
エミネムさんは凄い的を射た事を言っている。
脳の右側で描けを終わらせよう。そのまま描けるようにする。

 


2017-06-26
ずっと描いていなかった。今日から心を入れ替えて頑張る。いつ死ぬかも分からなくて、親は確実に自分より早く死ぬ。

 


2017-08-20
ダレてるしか描いてないですね。アホなんですか。

 


2017-08-23
特に最初期において、ものの見方、つまり認識方法はとても大事だと、想像する。
例えば六芒星を書きたい場合に、大体は三角形と三角形を反転したものを重ね合わせれば簡単に描ける。だが、認識の方法が違うと「六角形を中心として三角形が6つ囲んでいる」と考えるてしまうと難易度は跳ね上がる。つまり、線の取捨選択の方法や簡略化の方法を知らない、認知できないと難しいものは、永遠に難しいまま。

 


2017-08-26
悔しい悔しい悔しい上手くなりたい。結局は練習量が全然少ないから。
正直なところ、全く練習しないで、絵を見るだけで上手くなりたい。何も労力を、時間対価を払わずに上手くなりたいと思ってる。
そんな事で上手くならないのは分かっている。絵だって練習ばかりで本番のN次創作を、完成品を描いてないから上手くなってないんだ。練習ばかりしていると言っているけど練習すら足りない。練習の練習ばかり。悔しい。
上手くなる。
実際に描いて、出力する。絵もカラーで完成させて。カラーの手本通りにやって完成させる。そうしないと意味がない。
そうしないと無意味に摩耗して侮蔑されて死んでいく。将来は今。今が将来。

 


2017-08-29
まあ、わかっている。ものの始まりが絵の鍛錬なので、どこまで行っても鍛錬なのだろう。だから色々なものが育まれないのか。
結局口だけなのだ。
だけど頑張るしかない。
とりあえずは描ける構図を一つで良いから見つけて、それをひたすら描いて、楽しくなって、楽しむしかない。

 


2017-08-30
絵を嗜む、練習するにあたって一番大切で土台となるものは楽しむことだ。そう強く思う。
いまはそれが少しずつ確立されていっている気がする。

 


2017-09-07【絵の上達とか、練習方法とか】
絵を上達するためには必要条件として、絵を楽しむことが絶対に必要。
この時点で、小さい頃から絵を描いてきた絵描きネイティブ以外は結構駆逐される気がする。当然だが、そもそも絵を描くのが楽しくないと絵を描かないからだ。好き好んでやる人は少ないだろう。
ただ、絵を好きで描いていたけど、なんだか自分の絵が下手に見えてきて「絵を描くのは楽しくない」という人は、ベースの「絵心」があるので練習を続ければ楽しくなるだろう。これは観察力に、技術や知識やはたまた道具が揃うから。
上記以外の絵心ネイティブ以外の人は、まあこれは僕なんだけど、絵を好きじゃないし楽しくないけど上手い絵が描けるようになりたい・・・って人は高確率で絵を描くのを辞めるか、ほぼ上達しないと思う。全くの絵心なしから(模写ができないぐらい)はじめたブログとかを見ると大体が失踪してるか、これだけやってこんなに成長のか、というケースが多い。
これはたぶん、絵を上達するにあたっての「膨大な練習」が「楽しくない」から辞めるのかなと。
絵の上達法とかを調べてる人はもう見たと思うけど、絵がすぐには上達しないし、最善の上達法はかなりの量を模写して、オリジナルも時折挟む。技術的な素養が培われたら、解剖学や遠近法やら色彩等々を学んで・・・だが、もう年単位掛かるのは用意に想像できる。
その果てしない上り坂を「楽しさ」という水やら栄養やらを与えられないで「ただ上手くなりたい」という動機で走り出すと確実に自分の中の燃料が尽きて他の道を歩く。なので、自分の中で目指したい≒好きな絵柄の人の絵をトレースする。トレスは賛否両論あるけど、もう、これは楽しさという燃料を補給するのに必要だと思う。
だって、模写しても似ないもん。
トレスをすると曲りなりにも、かなりオリジナルと近い、所謂上手い絵が出来上がるし、それは自分の好きなもので嬉しい、楽しい。だけど、トレスしたら、今度は同じ絵を早くトレスしたり、ざっざ描きの数を減らしたり、もしくは一発書きをしたり。一番大事なのは模写した同じ題材のものを、見ないで描くこと。つまり復習することが大事。
模写してはい終わりは、それは模写の力が付くだけで、次からは同じものを同じようにアウトプットできるようにしないといけない。
同じ構図で描けさえすれば、その人物であれば眼や鼻、髪型を変えればそれはオリジナルになる。まあ、それでもトレス問題とか云々とか話題になるが、問題になっているのはトレス云々というより、本質は「盗作」なので今回の「持論」とは別である。
とにかく確固たる骨子を自分の中に構築しないといけない。例えば物凄く難しい構図を模写できた!でも再現できません!は全く意味がない。それは観察力が上がっただけで、自分の中に引き出しの中には入ってないからだ。
また、先生を確定させる必要がある。
絵って、基本的な事項はあるけども、ゴールは様々で捉え所がないけど、例えば資格試験を受けるのに勉強してる途中でその科目どころか別の資格の勉強しても意味がないとは言わない、けど物凄く遠くなる。司法試験受けたいので民法学べる宅建取ります!みたいな。いや、それは目標にまっすぐすすめよ、と。
絵に正解はないとか、絵は自由だとかいうけど、そのイラストレーターや漫画家には決まったセオリーがある。それを様々な人の絵を模写するのは、それは確かにみんなもっと原点のセオリー≒人体をベースに絵を描いてるから物凄い基本的なところは似ているけど、「その人のセオリー」は学べない。俺はベルセルクみたいな画風を会得したいんだ!というのに楳図かずおと福本伸行の作品が好きだから模写するぞ!となると、それはやっぱり遠回りになる。最初からその道に突っ込んだ方がいい。読書は乱読派なんです、と好きなものを取っ替え引っ替え描くとやっぱり安定しない。
とにかく描けは、何を考えずにとにかく描けじゃない。
同じように、私や他のネットの住人が発した言葉は、その言葉だけ抽出して盲目的に取り組んではいけない。
誰がどういった経緯で言ってるのかが全くわからないからだ。
絵描きネイティブの人が解剖学から学べ、模写しろ、同じ構図で別の角度から描けとのアドバイスをまとめサイトで見ても、それは僕みたいな絵心の素養や絵かきの経験が全くない人間は模写自体ができないので「その前提」をズラさないといけない。
その発言はプロかもしれないし、絵を描くのに挫折した人かもしれないし、1週間に1枚しか描いてない人が発した言葉かもしれないし、もしくは悪意をもっての発言かもしれない。もしくは、出版社の人間が特定の書籍を売りたいがために特定の書籍を物凄いプッシュしてるのかもしれない。
残念だけど、自分で考えるしかない。できれば、信頼できる先生を見つけてついていく。だけど、その人の発言もどういった意図をもっての発言なのか、何も考えずに「はい!やります!」ではいけない。
結局は考えて、実行した人間が成功するのは世の常だ。
もしくは無難な道へ行くか、宝くじを当てるしかない。
残念ながら、多くは学習途上にある人が持論を言っていて、その学習途上がどの程度の実力かも分からない。

 


2017-09-24
よく絵が真正面の比率やパターンに引き寄せられると考えていたが違うことが分かった。
ただ、真正面以外の顔を知らなかった。

 


2017-09-28
ここ数日はクロッキーでそこそこの量を描いている。
人体クロッキーの本を読んで実際に筋肉を意識しながら短時間1~2分でクロッキーをしていくと、なるほど、確かに最初は何を描いているんだか分からなかったが、段々と自分の中に3Dモデルが出来上がっていくのを感じる。
というのも、私も色々な講座を見てきたがそれはゾーニングされた、かなり洗礼された「商品」なので、その物品を外から眺めていてもその真の機能や形は分からない。理解するには分解して解剖して動かす必要がある。まあ、かなり人体クロッキーの受け入れのようだけども。
結局輪郭線でしか物事を捉えてなかったんだろうな。
考えをアレコレ巡らせたところで何も得られないし気付けないんだ。そう気づいた。描いてから得られるものをかなり膨大だ。

ただ、2,3時間しか描いてないので量が足りてない。がんばろ。

人体クロッキーの本はかなり良いと思うが、コレを最初の方にやってたら画力向上したかというと ? だ。横に指導者がいるならまだしも、独学で、この本に描かれていることを表面的にしか理解できないとかなり辛い。いまの自分も理解しているかはわからないけども。

正直筋肉やらなくても良いとも思う、それは画力の成熟度や絵柄、またその人自信が持ち合わせている吸収率や応用力によるだろう。例えば、胸郭と骨盤があって、筋肉はちょっちょとここらへんにスジを入れるんだよ!ぐらいの理解でも良い。ただ、自分はそれでは何が人を形作っているのかが分からないので、ここの分からないというのも、自分で好きなポーズを描きたいときに理想のポージングができない、骨格のポージングはできても、その上についている筋肉の流れが分からないので棒人間以上は描けなくてホトホト困り果ててしまったから。

さささ、こんな文を打っていないで見ていないでさっさと描きましょう。何分も見ているよりは何分でも描いた方がよい。
よく考えて。素描して素描して。

 


2017-09-30
与えられた情報を100%教授することはできない。それは受け手側の問題だけど、そもそも持っていないものを徐々に得ようとするのだから当然だ。
僕らはたぶん一つの説明だけでは完全には理解できない。残念ながら。例えば手を描こうとして、手の絵を模写しても、それは元絵の劣化を作り出すことになる。より上位の本物の手を観察して、それを絵にしないといけない。
誰かが描いた絵は検閲されたように情報が削ぎ落とされている。特に線画なんかは、それだけ描いても得られるものは少ない。その絵が完成に至るまでの過程・アタリやラフといった骨子となる基礎情報が綺麗に排除された線画を観察しても、圧縮された情報が更に圧縮されて、また更に受け手の情報処理能力が低いから得られる経験値が少ない。
1の説明で10理解する人もいるが、1の説明で1しか処理でない、更には10説明されてやっと1を理解する自分のような人間は沢山考えて沢山吐き出さないといけない。

 


2017-10-10
忙しくなるので練習量は少なくなるかもしれないが、その分は質を上げていこう。
ボールペン模写の利点は、対象をどう認識しているのかが一目瞭然になる点なのだろう。
下書きやラフを得て清書するのと違い、自分が対象をどう認識してどの線を拾うのか試行錯誤する必要があるうえに、得られる出力がとてもわかり易い。認識が間違っていたら可笑しくなり、ともかく整合性がとれない絵になる。

 


2017-10-17
最近は連続で同じ練習・・・例えばジェスチャードローイングで手だけ、足だけ、短時間で全身とテーマやポイントを絞って取り組んでいると何か掴めそうな掴めなさそうな、何かが見えそうで見えなそうな妙な感覚がある。
何となく物の(人体の)形が頭の中に形成されているのか。今まで模写をすると、当然紙面の奥にある見えない部分も「意識をしようと『思っていた』」いたけれども、とどのつまりそれは下流側での意識でしかなかった、かな。色んなモノを認識するのには上位の工程に触れる必要があって、それが会社なら他の事業部や提携先取引先との折衝、会社の帳簿や議事録、決算書を見て社内での立ち位置や自分の立ち振舞いの理解が強く深くなっていくけども、何も分からない新人に「考えろ」「意識しろ」とだけ伝えても、まあ新人なりに考えるけど表面でしか捉えられなくて。
翻って絵の関してだけれども、誰かが描いたコツとかまとめ描きなんてものは、結局はその人のtipsでしかない。絵柄なんてモノがあるけど、その人なりに知識を咀嚼して自分の取り入れやすいように変形させているので、その人になりたいならそれだけを練習したら良いけども、その人が何かを見て出力したのであろうコツの元資料まで辿らないと劣化コピーにしかならないのではって、これエミネムさん言ってたような気がするぞ。

 


2017-10-21
最近はクロッキーがメイン。この愚痴やら考察のようなsomethingはいずれ公開する予定だけでも、クロッキーとかジェスチャードロイーングとかデッサンとか言葉だけを意識して物事の本質を失うと大抵ひどい目に合うので気をつけるように。自分への戒めでもある。
短時間でボールペン模写をしている。何がいいって。短時間で自分がどう認識しているかが良い、というのはブログに前に描いた。
あとは、量を稼げるということ。
あとー、これ重要なのかな?重要な気もするんだけど、分からないけど、成人してから絵を書き始めたから理詰めで物事を考えすぎていたと思う。それは自分の絵に対しての自信のなさでもあるんだけど、今まで絵を描いた経験をないから色々と調べて教本を読んだ。それで教本を読むと大抵アタリ→線画→(ペン入れ)という流れになっている。
この形式は正解だと思う。何も描いたことない人間が、「はい、じゃあ絵を一発描きで描いてね」と言われても「んなもんできるか!できないから教本買ってるんだ!」となる。でも、絵心のある人、もしくは絵を小さい頃から描いていたお絵かきネイティブの人達って最初からそんな描き方をしていた訳じゃなくて、幼稚園児が一発書きで頭足人を描くように、何かの絵を試行錯誤しながら観察をしてアタリを使わずに一本の線で描いていた時期が少なからずあるんじゃないか?それでより上手くなるために、アタリとか人体の比率等々を学んでいく。
その初期の「絵心」と言い換えられるような何か。絵を楽しむ素養というか、自分の絵を許容できる寛大さを持ち合わせていたのでは?それが形成されないまま理詰めでアタリやら比率やら骨筋を学んだけどあまりに正確性を是としていたように思う。
理詰めで色々なことを学んだ、でも現状はまだまだ理想とは程遠い。もし現状を許容できるなら少しずつ理詰めで試行錯誤をしながら上達していけば良い。けれど許容できないで先にどんどん進むとギャップと現状の剥離がかなり辛い。何が辛いって、下手なのは頭で理解しているからまだいいけど、長時間掛けて下手というのが物凄いしんどい。しんどいのはつまらない。初めから楽しくなくて、途中も楽しくなくて、現状も楽しくなくて、長時間作成した集大成も楽しくなくて、絵は超超長距離マラソンだよ1年掛けて上手くなれ、2~3年掛けて上手くなれ、10年掛けて上手くなれ、期間の長短のイメージは人それぞれだけども、この先もきっと楽しくない・・・そんなイメージは簡単に浮かんでくる。
えー、・・・なら長時間掛けて上手くないより、短時間で上手くない→少し上手くなったの方が優位かなーと思った、のか?
あー何というか、私は根本的に絵を描くことは楽しくなくて、ドラえもんもミッキーすら描くことができない所からのスタートだから楽しくないし自信がない。落描きなんてもってのほか。頼りにしていた教本には救済措置であった「アタリ」をほぼ唯一無二の信奉としていた。だって一発書きする人なんてのは雲の上の存在の人できっと「絵の才能」がある人だから。でもその信奉対象も物事を曖昧にしていたように思う。自分がその絵をどう認識しているのかを曖昧にした。絵の正確性を求めて楽しさの在り処を曖昧にした。
分からんけど。わかんないけども、分からないから試行錯誤するんだよな。
何だ?主張したいことは何だったのか?気楽に描こうね、って事かな。よく観察して、試行錯誤して拘るけど、ベースは楽しさにある?楽しむことは十分条件じゃなくて必要条件かと。とにかく学んでばかりだったけど、出力する楽しさを形成しているのか。わからん、わからん。分かりませんよ。てきとーに頑張ろう。

 


2017-10-26
最近は仕事に時間を取られているのもあるが練習時間が少なくなった。夜遅くまで起きているから。
寝ます。五時に起きて練習しよう。
2018-01-05追記:確か5時には起きれなかった。

 

2017-10-28
困った。
私は0から1から絵の練習をはじめた。それも落描きもしたことない程度からはじめたので自分の手癖で描けるものがない。芯がない。ふにゃふにゃでもなんでも良いのに、芯がない。色々と模写したが良いと思う漫画やイラストはあれど自分が描きたいものは何だ?と考えると曖昧としている。
出力をしたいけど、何を出力したら良いのか。何が出力できるのか?スッカラカンの中身から何が出るのか?
自分は好きな作品はあれど、それを師匠として沢山の模写をしてこなかった。それは、好きではあるけど描きたいのか?となるとそうだと断言できなかったからだ。でも、自分の中にベースを作るためにその好きな作品も模写を中心として続けようと考えている。
出力するためにも入力をする。終わらない入力。
絵を描くのは悩ましい。絵心がある人が羨ましい。でもこういった僻みは、どの年齢のどの段階でも皆感じるものなんだろう。
高校でアニメーターを目指せば中学から絵を描いていればよかった、専門学校や美大に入る際には中高の頃から絵を描いていれば良かった、フリーで仕事を初めれば専門美大に行ってみたい、成人してから絵を描き始めれば小さい頃からはじめればよかった。
みんなルサンチマンだ、ああいや、俺だけか。
とにかく今の自分が常にベストなのだから、考えて描くしかないのだ。知ってる。知ってるけど理解はしているか?描け描け。今は寝る。おやすみ。

 


2017-11-10
最近は線で。
最近はじゃないな、最初からだな。
線で対象を形作ることに倒錯している節がある。あるはずのない輪郭線を強調して追い求めている。
骨格の勉強をずっとしていた。そのおかげかアタリの丸を描いても、そこに簡単な図形が見えてくるようになった。ような気がする。
でもこれ以上認識を広げるには色を塗らないと。光を理解しないと。そうしないと線だけの理解で終わってしまう。というか線も理解できないだろう。
面と光と色彩。
とりあえずはルーミスのモノクロデッサンから。模写。

 


2017-11-13
そろそろ、そろそろさ、ガンッと上達したいよね。だってこのままじゃ説得力がないじゃない。
あれだけ頑張って、結局下手なんやってなるじゃない。
だから入力ばかりしてたけどさ、出力することにも慣れて、そうしたらきっとまた一段上手くなるよ。
やろう。

 


2017-11-19
ふと思い立って。忘れないうちに。初心は忘れてしまうから。けどもう本当の初心は恐らく忘れてしまっているだろうけど。
それでも留めておく。
自分が絵を描くにあたって勘違いしていた、というか、描けない自分が「こういうものなのか?」とか、なんか考えていたこと。

1,アタリの存在を知らない。
正確には存在は知っていた?けど、全く使わなかった。だって義務教育でも習わなかったし(覚えていなかっただけかもしれない)
絵を描き始めた最初の・最初の一枚を見るとアタリを描いていない。なので一発書きで、線を大量に重ねながらすすめていた。
その後、書籍を購入してアタリの存在を認識したので意識してアタリを描くようになった

2,上手い人は一発書きしていると思い込む
何故かは分からないけども、そう意識的か無意識的にか思いこんでいたように思う。
これは絵に対する憧れのような物がずっとあって、絵を描くのがまるで魔法のように感じていたせいだと思われる。自分の自信のなさかもしれない。
SNSでよく見かける超絶上手い人達の絵は、数時間・十数時間・数十時間試行錯誤して得られた作品なので、なぜか数分・数十分でそれと同等のものができる・・・というか、短時間で同等のものができない自分に対して深く失望していた。
アタリがあって、ラフがあって、線画etc・・・各工程の理解の無さもある。アナログだけで練習していたせいもある。アナログのくせに鉛筆一本でペン入れまでしなかったせいもある。ともあれ、理想と現実のギャップにやられていた。


3,とにかく絵を描くのが辛い。葛藤をする。嫉妬する。諦める。挫折する。
自分は絵を描いた経験が全くなかった。落描きなんてしたことがなかった。絵を楽しむ素養が育まれなかった。
絵を描くことはとても苦痛なことであると、下手な自分の絵を晒すことはとても恥ずべきことであると思っていた。だって、下手だから。
そういった自分が絵を描けるようになりたい、だけの動機で練習するのはずっと辛いことを何度も何度も追体験しているようなもので、少し練習しては辛くて諦めた。もちろん、思い立ってからの勢いがあるから、一瞬一秒たりとも逃さず辛かったわけじゃないが、それでも描けない自分が嫌で嫌で仕方なくて、ものすごく辛かった。
現実を直視したくなくて絵のモチベーションや練習方法ばかり見ていた、実際の練習は全くしなかった。だって辛いから。つまらないから。面白くないから。仲間もいない。成長も感じられない。辛い辛い、ただ辛い。辛い。
それでも少しずつ、少しずつ描いていって、過去の絵を何度も見て自分は成長していると慰めて、他人の成長記録を眺めては自分もこれだけ成長できるはずだと思い立って、何度も挫折を繰り返して描いた。ように思う。
何度も挫折して立ち上がった、かのように記述すると美談のようだが、現実はただやる気がない人間で、何もしなかっただけだ。

・・・今もその気持ちは減ったけどもある。あるし、この、恐らく普通の人が絵で悩んで「あいつには才能がある」と思うように自分もそう思ったりもした。自分の場合はより低レベルな嫉妬をして、絵心がある連中と俺は違うんだ、絵を楽しむ気持ちがない、どうしようもない、一向に成長しない俺はもうダメだと、思っていた、かもしれない。

でも、絵は反復して同じことを繰り返して、過去の自分を省みて少しだけ成長したか?と認識した時に絵は継続だ物量だと、みんなも同じように悩んで、同じように苦手なものは避けて練習もしないのにアイツには才能がある、かのような嫉妬をしているんだと、なんとなく我慢というか、肚の中に落とし込むことができるようになった。

 

あんまね、自分は劣ってるとか、自分は違うと思って、それをずーっと繰り返してしまうと良くない物と同一化してしまうから、なるべく控えようね。

今日のところはこれまで。

 


2017-11-19-2
同じ日に文章を書く。別枠で改めて。
絵心とか、の話というか。
絵が小さい頃から好きだった人、落描きをする習慣が少々でもある人は気楽でモノを描くことをよくしていたのだろう。
対して、成人してから絵を学ぶ人は、もしその人が絵を描くことが楽しめない場合は、ただロジカルに効率を求めて訓練するわけだけど、それだけだときっと、しんどい。
極端な話、絵は下手でも良い。
よく言われる英語は手段でしかない、というのに似ている。
発音ばかり気にして恥ずかしがってコミュニケーションを取らないのなら、それは意味は希薄だ。単語帳ばかり読んで海外サイトを見ないと、海外ニュースを見ないとか、自分の認識を広げる努力をしないのは、きっといつか無味乾燥としている人生だったとか、挑戦しなかったがため新しいステージや別の世界を見ることも叶わず無知蒙昧だと挫折してしまうのではなかろうか。
手段と目的を間違えちゃいけない。
練習のための練習にしてはいけない。
目的がなかったとしても漫然と取り組んではいけない。

だから、頭の中を学習から楽しむこともとても重要だと思う。
だって、常に悩みながら悩みながら悩みながら、できないできないできない、じゃ辛いじゃない。

 


2017-11-20
果てがない。
考えろ考えろとさ、やってきましたがアナタ。
感じることも大事だよ。
少しでも琴線に触れたこと、好きなこと、自分がよく見るものを表現しよう。
どんとしんくふぃーる

絵を描く前は、絵描きってメンタル弱い人が多くないか?と漠然と思っていた。勿論目につく・目立つ人が視界に入るから悪目立ちしてるだけだろう。
でも、まあ、過敏に反応するのはよく分からないけど、わかるよ。孤独だ。
絵の上達を目指すと生活の中のかなりのリソースを費やす必要がある。その中で辛辣な言葉を投げかけられたら辛いだろうね。
でも絵を描かない人は知らないし、知る必要もないし、絵はただの消費財でしかないし、無料で見れて当然の暇つぶし程度のもの。。。かどうかは分からないけども。ただあまりに一般的になり、絵を読む敷居はほぼないし普段見ない人にも露出する機会が増えた。
大衆化されるということは、ただ純粋に良いことも、悪いことも、数が増える。

 

 

2017-11-23
できるようになった事と、できていない事を並べる。自分を再評価する。
まずはこういった備忘を付けること自体がほぼ無意味であることは念頭に置いて、短時間の吐き出しで済ませること。

最近が練習量がまた下がった。こういった文章を書いている暇があるのなら少しでも描いた方が良いが結局嫌で手を付けたくないといった所なのだろう。
9月末からクロッキーをガーッとやった。一ヶ月程度で200枚以上?書いて今は300枚を越えた。クロッキーだけでなく色々なモノを含んでいるが、まあ、練習量が増えたわけだ。
その甲斐あってか三次のものを描き出すのは上達してきた。8/23のボールペン模写を見ると全身が物凄く記号的な処理をしていることが見て取れる。ただ、今は全身を描いてないので成長の比較がし辛い感はある。

すぐに諦めてしまう癖がある。
理想の自分は一発で物凄いかわいい・格好・魅力的な絵を描くはずが、自分にはできない。物凄い破綻している絵を描く。
出力が足りないせいというのは分かってる。
苦手なものはやっていないものだ。描けないものはやっていないものだ。
自分は理屈で覚えようとしているが、それはきっと間違っているんだろう。絵に関しては先に反復して、ある程度体と心に覚えさせるんだ。
自分はあまりにも疎かにしてきた。

 

 

2017-11-27
少しずつ目線が飛ばせるようになってきたような?クラシックペンを購入したおかげか?視界が広がったのでよく観察ができるようになった?
やりたい事は沢山あって、メモをするけども、そのうち実行に写せるのがごく少数。
上手くなれば出力にかかる時間も少なくなる。大量のアウトプットができるようになる、大量に気付きが得られる。
絵を描くだけで上達する。やればうまくなる。やりきろう。

 


2017-12-01
露出するのは超絶上手い人達の情報。それも上澄みの綺麗な情報が多い。下手な時点ではあまり公開はしない。
自分の次の階段はどこなのか。

練習ばかりするステージじゃない気がする。それはずっと分かっているが、自信のなさや不出来である事を認めたくないのか。

 


2017-11-28
ずっと模写をしてきた。大まかな形を取る力は付いたかと思う。だがオリジナルはかけない。
今自分に必要なのは、教科書をただ眺めて「考える」ことではなく、自分で観察し描き考察を纏めることだ。
自分だけの教科書、自分の考え、自分の形をつくる必要があると強く感じている。

追記:頭の中にふと描きたい構図がバーッと膨らんだ瞬間があった。この感覚は大事にしよう。重要な気がする、
人の絵を見ると俺でもできるんじゃないか?という謎の自信のようなモノがわく。なお実際には。

 

 

2017-12-07  絵の上達方法とか 
絵は楽しむことは一番大事。まずはそれを最初に。こういった自戒や反省は何度もしているが。
恐らく幼少の頃から絵を描く習慣があった人は「当たり前だろ?」と思うかもしれない。というか絵を描かない人が考えても「絵を描く人は楽しいからやってるんでしょ?」と考える。自分は考えていた。(自分はむしろ自身が絵を描くことに関しては強烈な嫌悪感があった。)
この楽しいというのは本当に重要。それは「好きこそものの上手なれ」に繋がるし、「憧れる漫画家/イラストレーターが存在する=その絵を徹底的に真似をする」守破離が自然とできるのだ。
この愛やら憧れやらに形象されるような何かの「骨、もしくは土台」を入れないと絵を描くのは難しい。
骨がないと、土台がないと、その上の血肉やら美麗な建築物は完成できないからだ。無理に作ったとしてもそれは骨粗鬆症であったりハリボテであって少しの揺らぎで壊れてしまうから(※反省、この一文は比喩ばかりのただの作文っぽい感じがする)
それがないと義務教育で嫌々やっていた、もしくは聞き流していた苦手な講義を受講するようなものでいくら単語練習を重ねても覚えられず、いくら漢字練習帳を埋めても字は上手くならない。
(上記の文は全て自分が幼少の頃絵を全くかかなかったが故の嫉妬や憧れの煮凝りである。要するにルサンチマンなのだ)

じゃあ、絵心がない奴はどうするんだ。成人するまで絵を描かなかった奴はどうなるんだ。絵がそもそも嫌いなのに描けるようになりたい奴はどうなるんだ。
物事にはいろんな楽しさがある。
講義の歴史は苦手でも、講師の波乱万丈な人生経験(=講師の歴史)は楽しくそれと紐付いた講義はまた一段違った耳の傾け方をする。
もしくは興味のそそられなかった仕事でも取り組んで見ると会社全体の概要が見えたり、関連会社や人の努力(もしくは腐敗)が見えて面白く感じる。もしくは責任感を持つ。
親の病気が要因となって保険について真剣に考えるようになったとか、身体障害者の友人ができて人権問題やお店の受け入れ体制に意見をしたり。
色々な経験から学ぶのだ。まだ学んでいない状態、まっさらな状態だと認知できる物の量が少なすぎて奥手になって遠慮してしまう、嫌悪してしまう。まずはグッと堪えて学べば色んな世界が見えてくる。そうすれば自然と楽しさが沸いてくる。

しかし、いま例示した楽しさの要因はその殆どが強制やら不可抗力で得られる物だけど、絵はちと違うと考える。
講師の話も勝手に話してくるだけだし、会社も金銭を取得する≒働かないと生命活動へと直結、病気も予測不能だし、友人関係も恐らく身体障害者の人と友達になろう!と思い立ち交友を築く人は少なく、たまたま友人が該当してしまうか「知り合う・巡り合う」のだろう。
絵はどうなんだろう。特に独学は。環境というのは簡単には得難い。年間200-300万を払うことで学ぶ環境や友人を得られる、、月謝を払い絵画教室に通う。そういった事を全くしないで愛や憧れのない独学者が上達するのだろうか。
難しいし険しいだろう。絵ではなくとも、難関資格を独学で合格するのは相当しんどい。強い意志が必要だ。
楽しさも、学校に通う時間や金も捻出できず、八方塞がりじゃないか。

幸いな事に絵に正解はない。別に下手でも良いのだ。問題なのは下手なのを嫌悪してしまう心の方だ。
楽しさや憧れが形勢されないまま上達だけを目的としてしまうと、ダ・ヴィンチやらピカソ、手塚治虫や村田雄介、いい例え浮かばない、まあ、全部の人を越えないといけない。そんなの無理だ。そもそも曖昧だ。官僚目指しつつ弁護士と医師も経営しますと言われても「無理じゃろ・・・」という話だ。
幼児が描く絵に「デッサンが狂ってる。模写しろ。教本を読め」とは言わないように、自分に対しても「ああ、下手くそだ」と嫌悪の言葉を投げかけてはいけない。まだ幼児なんだから。むしろ褒めるべきだ。


あかん。
文書くのあきた。以下はメモ。
絵描きの承認欲求や自己顕示欲が高いのは道理なのだと思う。
子供がハッとするような芯を突く発言をしたり。
憧れようという話。

追記:初期はブラインドコンターをやるのも手だと思う。楽に描くんだ。

 

 

2017-12-20
基礎が一番大事か。そうか。講座もかなり見た、ある程度実践もした。比率も知ってはいる。
それでも曖昧なのはやはり基本的なものを疎かにしてるからか。知ってはいるのに描けないってそういう事か?
立体や基本的な球が描ければ何でも描ける気がする。肝心なのは人体の3Dモデルを作ることじゃなくて立体の3Dモデルを作ることだったのではないか。
まあ、まだ分からないことだらけ。

 

 

2018-01-01
毎度始まるこの無意味で時間の浪費である徒労めいた独白。
最近思う絵を描くにあたって必要な能力は、
1、絵をそのまま描き写す力(模写。思い込みをせずに本物を写し取る力)
2、明暗への理解・再現
3、図形を頭の中でグルグルと回す力(立体把握?空間把握?)
4、三次元空間の情報を削ぎ落として二次元の情報へ記号化する力
5、誠実さと根気(向き合う気持ちととにかく描き続けること)
順不同だけど想像で自由自在に描くには3番が一番重要だと思う。

 1、はそのまま紙の上に描いてある絵=線の塊を、別の紙面上に描いて再現する力。所謂模写というもの。
これがないと、まあ、当然見たものを同じように描くことができない。どうすれば獲得できるのかは脳の右側で描けを読んで、ワークを熟せば身につくだろう。少なくともヒントは得られる。この本は決して胡散臭い脳力というものを鍛える本ではなくて、ものの見方認識の方法を教えてくれる本だから。
 2、は所謂デッサンなんて巷で表現される物で鍛えられる、と思う。自分はデッサンの経験が極端に少ないのでここへの理解は乏しい。ちなみにデッサンのフランス語?の意味は絵を描くことらしく、日本の『デッサン』はガラパゴス化してるらしい。とどこかで見た。日本語以外のカタカナ語に変換されると包括される意味が肥大して境界が曖昧となると覚える。
 3、想像で自由自在に描くにはこれが現時点で考える最も必要な脳力だと思う。想像力とも表することもできるだろうか、頭の中で図形を思い描いて、時には回し、時にはつなぎ合わせ、まるで目の前に実物があるかのように想像し、それを出力する。それさえできれば何でも描けると思う。勿論、完璧にとはできないだろうし、簡単な図形を思い描くのが精々という場合もあるだろうが、これが全くないと絵を全てパターンで覚えることになり、応用が効かなくなってしまう、のかなと思っている。
これは基本的な図形を色んな角度からひたすら描いて、時には想像で描いて、伸ばしたり縮めたり、ワイヤーフレームを表面上に走らせたりする事で身につく、のかもしれない。今はそう思って練習している。
 4、自分は絵の素養がなかったので絵を描き続ければレベルアップしてどんな物でも自由に描けると思っていた。しかし思った以上に絵を描く=3Dのものを2Dに移し替える事は大変で、いわば紙の上の何かを見せることは全て錯覚なのだと思う。その錯覚を上手に駆使するためには記号化を上手く利用しないといけない。例えば、所謂デッサンのように全て描き写すなら、もうそのまま描き移せばいい(これは乱暴な意見だとは思う)ただ、線画で表現するためには3Dの情報を削ぎ落として2Dの紙面上に錯覚させる必要がある。その技法を一から全て産み出すのはとても難しいので、既存の漫画やイラストから借用する事でこれは~~を表すという錯覚を駆使する。所謂ハンコ絵しか描けない、同じ角度からしか描けないというのは、「3」の脳力が低く、「4」の能力or引き出しが少ない状態なのだと考えた。考えただけで合っているかは知らない。エッシャーだけが錯覚を使うわけではない。
 5、そのまま。誰かの話を素直に聞き、時に葛藤し、挫折を何度も味わいながら絵を描く能力を獲得したと足掻き続ける。

最初は線を引くことに物凄い抵抗があるので、難しい題材ではなくて簡単なものに取り組むのも良いと思う。

中学か高校の生物だかの授業でバッタの点描をした事をしたことがある。その時の自分はドラえもんミッキー描けないヤベーやつだったがその点描が上手く描けた!と思った。まあ、隣の同級生の方が数倍わたしより優れていたが、それでもその時は上手く描けたと感動したのを、いま思い出した。
その時は模写する力は全くなかった。それでも自己嫌悪をせずに描けたのは、安直に引けてしまう線ではなく一点一点を確かめながら打つ必要があったからだと思う。
・・・ヤマなしオチなしイミなし。だってただの吐き出しだもの。

 

 

 

以上です。

書いてある事は参考にしないで下さい。初心者なんで考えがぐるんぐるん変わってます。ただの嘆きです。

あと文中に練習方法云々ありますが、これもまた参考にしないで下さい。

 

もしここまで読んだ方がいたら何といいますかお疲れ様です。

今日は以上です。

 

 

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