大人になってゼロから初めるお絵かき

成人するまで絵を描く趣味も絵心も全くなかった初心者が絵をゼロから学びます。同じ境遇の方がいれば少しでも励みになれば・・・。プロフ→https://goo.gl/1Zxkvr 本気になって1枚目(通算121枚目の模写)→https://goo.gl/9ks7eD  基本的には自分がただ頑張るだけのブログです。

2018年上半期の反省 円柱とクロッキー 絵画教室にて

2017-02-7から絵を描き始めて ~510日目

 

7月1日になりましたね。ついに下半期突入です。

新年を迎えてからもう半年が過ぎたのです。皆さんはその貴重な半年をどのように過ごしましたか。

新年の抱負は達成できましたか。

もしこの半年間あっという間に過ぎ去ってしまったなら、きっと残りの半年もすぐに浪費してしまいますよ。

 

・・・んんんんんんーーーーーーーーーー!!!何も成長してなーい!

という事で今日も絵画教室に行ってきました。

あと上半期の反省するので長くなります。

 

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前回の更新で記載しましたが、今回からデッサンする際の意識を変えました。最初の段階から何度も計測して絶対に間違えないように描く・・・という事は避けてなるべく早く次のステップへ進むように心がけました。

正確に間違えないように描こうと慎重になったところで絶対に無理なんですよね。むしろある程度積極的に先に進んで要素を複雑にしたほうが良い場合が多いように思う。

というのも要素が複雑になれば全体のクオリティが向上して精神的にも楽だし、相互の関係性が見えて来るから修正も容易になる(と思って行動した)単純な線は違いがハッキリと分かるが故に奥が深すぎてほんの1mm、0.1mmの差異さえ許されないような厳格さがある。それでいて他の要素を付け足すと相互関係が合わない。その不一致がどういった理由なのか自分にはまだ分からないのだ。錯視か形や色の恒常性、明度対比などに惑わされているのか、まだ判断ができるほど経験値が積まれていない。

と、まあ、今回は2コマでここまで描けた。自分的には成長したというか、やはり心の問題なのだ。一歩踏み出す勇気が、間違っても良いという勇気が必要なんだと思う。

恐れてたら楽しめない。間違って良いのだ。間違えたら先生に「今回はこういう意図でやったからxxが犠牲になったのだ。劣化したのだ。」と胸を張って主張したら良いのだ。胸を張れる考えを持つことが大事なんだ。

絵には体験しないと分からない領域がある。絵だけでなく他の事由においても言えることだけれど、挑戦しないと分からないこと一歩踏み出さないと見えないこと失敗しないと経験できないこと、意識しないと直せないことがある。

 

 

絵画教室では初めてクロッキーをやった。3分、5分、5分。

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こうした人物のクロッキーを描くのは本当に久しぶりで。意識して描いたのは一ヶ月とか、ある程度集中して描いた時期まで遡るなら今年の1月以降はほとんど描いていなくて、本当に久しぶりに人を描いたと感じた。

1枚目は小学生の女の子。凄くしっかりした子で可愛らしい子です。頬のぷっくりした感じを描きたかったけど難しかった。久しぶりのクロッキーという言い訳も効くだろう。話を聞くとこの子は絵の勉強をしたくて絵画教室に行きたいと母親へ自発的に相談したそうなのだ。この子の積極性ややりたい事を相談できる素直さは見習うべき所がある。

2枚めは唇の色を塗ったら物凄く色っぽくというか、女性的になって「やっちまった」と塗った瞬間に思った。陰影を付ける時間がないので唇を塗ってしまうと、そこだけ赤みを帯びたようになるんだね。二回目という事もあり少し勘が戻った。

3枚目は50~60代の男性。この年齢になると頬の肉が少し弛んで重力に負けた肉の感じが面白い。面白いのは自分の認識の仕方で、頬骨が出ていると感じるのか、肉が削げ落ちていると感じるのか、事実は目の前にあるけど解釈は自分の中にあるんだなとか、考えたり考えなかったりする。

周りを見るとみんな真正面から描いているせいか記号的な絵を描く人が多かった。対面する人の顔を見ながらの描画だから真正面になるのは当然なんだけど、僕は真正面よりは絵を描いている最中の視線と顔を手元の紙に向けている表情の方がアシンメトリーで面白かったのでそちらを優先して描いた。

あ、ダラダラ纏まりのない事を書きますよ。

先生が時折に面白い線を描くねとか言う。不満やいら立ちの意味ではなく、純粋にどう何が面白いのかが気になる。何がセオリーで何が通常なんだろう。

クロッキーをしている最中は面白かった。ワイワイと皆で机を取り囲み一つの題材に向かい合う。描き終わったら先生が机を回り歩き各々へコメントと赤丸をクルリとする。

ああ、なんだか「仲間っぽいぞ」と感じた、ように思う。いつもはそれぞれがモチーフに向かって黙々と筆を走らせているけれど、今日の体験は何だか小気味よいと言いますか。子供たちがワイワイと集まって先生の指導に対して、えーやら、さいあくーやらの無礼な感じがまた純粋というか嫌味がないというか、おもろいなあ。

 

反省してねえ!

上半期あっという間でしたね。

公開しているスプレッドシートを見ると自分こんな事やってたんだなーと。

1月 主にグレンビルプの基礎連、お礼イラスト

2月 スコットロバートソンhow to drawメイン、練習しなくなる。主に読書。

3月 ほぼ描かなくなる。好きな作家を纏める。読書。

4月 好きな作家を纏める。読書。デッサン教室に通いはじめる。

5月 読書。中旬から基礎連を再開。

6月 基礎連を継続。中旬から色彩を学ぶ。

基礎連しかやってないやん!やんやん!

やっぱ3~5月のロクに描かない時期が良くなかったね。確かその間はカラー&ライト等の色彩系の本を読んだり脳の右側で描けとか今まで読んだ書籍を読み返したりビジネス書読んだり。

何が得られたかな。

基礎連をやっている間は、紙の中の立体物をなぞるような感覚を強めていたように思う。

その後は焦燥感を落ち着かせて何が好きなのか、興味があるのはどういった事なのか纏めるとどうやらカラーイラストの厚塗りに強く惹かれているようなので、しっかりとトーンを理解しようとデッサン教室に通い始めた。

孤独に描いていた自分にとって誰か指示を仰ぐのはメンタル的にも一定の効果があったし、目の前で質問ができる対話ができる環境というのはとても恵まれたものだ。納得できる。自分の行動に納得できることが重要だ。それが物凄く遠回りでも何でも良くて自分が信じて骨子となるモノを得られるのは、それは掛け替えがなくて、信じられる道だと確信して歩み続けることが重要だ。

無理やり10時~16時まで描く環境に浸かることで胆力は付いたし辛抱強く描くことができるようになった。それは自分描きには未だ活かせていないけれど。

6月の中旬からは色彩について学び始めた。以前にカラー&ライトを読んだけど、それは文字をなぞっただけに近くて、今回はベティ・エドワーズ女史の色彩関連の本を読んで実際に混色をすることで色についての理解が深まった。

形態やパースに関して学んだ際は世界が少しだけ不思議に見える感覚というか、自分の立っている床面が斜めに見えるような新しい観点を得られた。色彩を学んだらまた同じように世界が少しだけ綺麗に見えたような気がして、今年新しく芽吹いた若葉の色は彩度が高くて光に透けていて、空を見上げたら青と茜色のグラデーションが綺麗で、綺麗なモノが沢山あるんだと気付いた。

別に僕は富士山の山頂で日の出を見る必要も、カナダの寒空の下オーロラを見る必要も、4WDの車に揺られてウユニ塩湖に行く必要も、なんだったらマジックアワーの空を見上げる必要もなくて、ただ目の前の霞がかった朝靄やら雨上がりをエッセンスにして木々や花を見るだけで上機嫌になることができるようになった。

いやまあ、実際には上機嫌にはならないけど、はえ~すげー綺麗だなー、これが色の恒常性なのかーやら彩度たけー、鈍いけど明度たけーと面白い視線を獲得できた。

 

僕は完璧主義者というか、やっぱり失敗することが怖いんだと思う。

だから同じところをグルグル回ったり、未だに手を動かさずに本を読んだりしてしまう。

未知は怖い。失敗することはとてもしんどい。

それでもやっぱり、新しい視点を獲得することは大事だなと。

常に一歩を踏み出し続ける勇気と、アレだ、勇気と何かって言おうとしたけど浮かんでこない。

ときには感情と事実を切り離すことも大切だ。

とにかく自分が楽しいと思えて納得できて挑戦し続けるような、なんかあれよ。

下半期もがんばろうね。

 

 沢山休憩したから頑張るぜいぜい。

何も纏まらなかったが、うむ、よいのだ。

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